前田日記(写真集)
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現在、私も親であり、私の両親も存在する。
私が考える”親”について書いておこう。

自己紹介にも書いてある通り、私の父は、とても厳しい親だった。
私は毎日、野球・勉強・友達について報告をし、
父親は私の報告に対して指導・助言をする。
母親は天使のような優しさで、いつも黙って父親の隣に座っていた。

父親が厳しかった、いや、厳しくなってしまった理由は、ただ一つ!
私と姉が生まれる前に、長男を事故で亡くしたからである。
まだ2歳7ヵ月だった。

このことを、この場で書く必要もないのだが、
私が考える親の役目を考えたとき、私の心の根底にあるものである。
また、私の両親は前田日記の存在を知らないので、
この日記を読んで哀しみを思い出すことはないと思う。


私は、中学生になるまで、兄の死の原因を知らされておらず、
両親に聞くことは、してはいけないことだと子供心にも察していた。
毎朝、御飯を真っ先に供える母親。
その仏壇に手を合わせる父親。

そんな姿を毎日見てきた私は、中学1年生の時、
思い切って、姉に兄が亡くなった理由を聞いてみた。
姉は困った様子ではあったが口を開いてくれた。


久しぶりに孫の顔を見せようと、祖父母の待つ実家に向かうバス停で、
兄を背負う母親とバスとの事故だった・・・

仕事中だった父は、このことを、
どう知らされたのだろうか・・・
母は、
どのように知らせたのだろうか・・・

私は、そこまで聞こうとは思わない。
知りたくもない。
聞く勇気もない。


その日、その現場に遭遇した一人の学生がいた。
驚いたことに、バスの乗客だったその学生は教師となり、
十数年後、偶然にも中学生になった姉の担任となった。

この偶然の出会い・・・

先生は単身赴任ということもあり、
時々、私の家で食事をしていただいた。
ある日、どちらともなく仏壇の写真をきっかけに、
先生のことを信頼している父親は全てを語り始めた。
話の途中で先生は、

「えっ!あのときの!」

『えっ!?』

「そのバスに乗っていました!」

この場にいなかった私でも、
この話を聞いて、今までにない驚きを感じると共に、もしかして
”偶然”ということにも”繋がり”というものが
あるのではないのだろうかと、考えるようになった。

姉とは入れ替わりで中学に入学した私の
数学教師も、この先生である。
先生は、姉の名が”姫”ということもあり、私のことを”殿”と呼んでいた。
また、ソフトボール部の監督でもあった先生は、
エース投手だった姉の恩師でもある。


兄、順一郎が亡くなって二人目の子供が生まれる時、
父親は
『順一郎の生まれ変わりだから男だ!』と信じていたようだ。
しかし、生まれてきたのは女の子。
生まれてきた姉を見て、肩を落として病院から帰っていった。

この話は、私が大人になってから、母親が笑い話のように教えてくれた。
決して哀しいだけの瞳ではなく、がんばってきた立派な母親の目をしていた。
姉は、母親の横でこの話を気まずそうに聞いていた父親に、
『女の子で悪かったわね!(笑)』と言って、その場を和ませてくれた。

子供は二人と決めていた両親は、
兄の生まれ変わりとして生まれた私の名に”生”という文字を込めたのは、
両親にとって何事にも代えられない”願い”なのである。

近所の子供が、父親の運転する車の前に少しでも飛び出してきたならば、
父親は車を降りて必死になって精一杯の心を込めて怒鳴り飛ばしていた。
この父親の気持ちを理解するようになったのも中学一年生の頃だった。

厳しいだけの父親と思っていた私は、
悪ガキだった私を母親と共に心を込めて育ててくれたことに感謝し、
このような辛い経験をして、
心が、ずたずたに引き裂かれたことを乗り越えて、頑張ってきた両親を、
この世に誇れる世界一の人間だと思っている。

親という人間は、
我が子が何歳になろうとも、すべての役目を終えたとは考えない。
子供からしても、親への感謝は一生のその先までも忘れない。

私が考える親とは、
子供が親となるための、そして、人間となるための先生なのである。

あの頃、私がどんなに辛いことがあっても父親は、
『生きてる証だ!』と言って笑い飛ばしてくれた。

世界一厳しい父親と、
世界一逞しい母親は、
世界一優しい両親である。
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・・・前田隆
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by maeda_takashi | 2009-09-06 10:04 | 【前田日記】