「ほっ」と。キャンペーン
前田日記(写真集)
ブログトップ
タグ:写真 : 人 ( 7 ) タグの人気記事
合流!(^-^)
e0089732_2154478.jpg

優しい悪魔様との合流達成!
なぜ?
この二人が、ここ博多にいるのだろうか!
(笑)

縁だ!
楽しむ!
みんな集合!
(^-^)
[PR]
by maeda_takashi | 2010-04-09 21:54 | 【前田日記】
現在、私も親であり、私の両親も存在する。
私が考える”親”について書いておこう。

自己紹介にも書いてある通り、私の父は、とても厳しい親だった。
私は毎日、野球・勉強・友達について報告をし、
父親は私の報告に対して指導・助言をする。
母親は天使のような優しさで、いつも黙って父親の隣に座っていた。

父親が厳しかった、いや、厳しくなってしまった理由は、ただ一つ!
私と姉が生まれる前に、長男を事故で亡くしたからである。
まだ2歳7ヵ月だった。

このことを、この場で書く必要もないのだが、
私が考える親の役目を考えたとき、私の心の根底にあるものである。
また、私の両親は前田日記の存在を知らないので、
この日記を読んで哀しみを思い出すことはないと思う。


私は、中学生になるまで、兄の死の原因を知らされておらず、
両親に聞くことは、してはいけないことだと子供心にも察していた。
毎朝、御飯を真っ先に供える母親。
その仏壇に手を合わせる父親。

そんな姿を毎日見てきた私は、中学1年生の時、
思い切って、姉に兄が亡くなった理由を聞いてみた。
姉は困った様子ではあったが口を開いてくれた。


久しぶりに孫の顔を見せようと、祖父母の待つ実家に向かうバス停で、
兄を背負う母親とバスとの事故だった・・・

仕事中だった父は、このことを、
どう知らされたのだろうか・・・
母は、
どのように知らせたのだろうか・・・

私は、そこまで聞こうとは思わない。
知りたくもない。
聞く勇気もない。


その日、その現場に遭遇した一人の学生がいた。
驚いたことに、バスの乗客だったその学生は教師となり、
十数年後、偶然にも中学生になった姉の担任となった。

この偶然の出会い・・・

先生は単身赴任ということもあり、
時々、私の家で食事をしていただいた。
ある日、どちらともなく仏壇の写真をきっかけに、
先生のことを信頼している父親は全てを語り始めた。
話の途中で先生は、

「えっ!あのときの!」

『えっ!?』

「そのバスに乗っていました!」

この場にいなかった私でも、
この話を聞いて、今までにない驚きを感じると共に、もしかして
”偶然”ということにも”繋がり”というものが
あるのではないのだろうかと、考えるようになった。

姉とは入れ替わりで中学に入学した私の
数学教師も、この先生である。
先生は、姉の名が”姫”ということもあり、私のことを”殿”と呼んでいた。
また、ソフトボール部の監督でもあった先生は、
エース投手だった姉の恩師でもある。


兄、順一郎が亡くなって二人目の子供が生まれる時、
父親は
『順一郎の生まれ変わりだから男だ!』と信じていたようだ。
しかし、生まれてきたのは女の子。
生まれてきた姉を見て、肩を落として病院から帰っていった。

この話は、私が大人になってから、母親が笑い話のように教えてくれた。
決して哀しいだけの瞳ではなく、がんばってきた立派な母親の目をしていた。
姉は、母親の横でこの話を気まずそうに聞いていた父親に、
『女の子で悪かったわね!(笑)』と言って、その場を和ませてくれた。

子供は二人と決めていた両親は、
兄の生まれ変わりとして生まれた私の名に”生”という文字を込めたのは、
両親にとって何事にも代えられない”願い”なのである。

近所の子供が、父親の運転する車の前に少しでも飛び出してきたならば、
父親は車を降りて必死になって精一杯の心を込めて怒鳴り飛ばしていた。
この父親の気持ちを理解するようになったのも中学一年生の頃だった。

厳しいだけの父親と思っていた私は、
悪ガキだった私を母親と共に心を込めて育ててくれたことに感謝し、
このような辛い経験をして、
心が、ずたずたに引き裂かれたことを乗り越えて、頑張ってきた両親を、
この世に誇れる世界一の人間だと思っている。

親という人間は、
我が子が何歳になろうとも、すべての役目を終えたとは考えない。
子供からしても、親への感謝は一生のその先までも忘れない。

私が考える親とは、
子供が親となるための、そして、人間となるための先生なのである。

あの頃、私がどんなに辛いことがあっても父親は、
『生きてる証だ!』と言って笑い飛ばしてくれた。

世界一厳しい父親と、
世界一逞しい母親は、
世界一優しい両親である。
e0089732_8104782.jpg


e0089732_8105698.jpg

・・・前田隆
エキサイトリーダーに登録
[PR]
by maeda_takashi | 2009-09-06 10:04 | 【前田日記】
シニアの野球とは
私の先輩であり親友でもある四條稔さん(巨人-オリックス-横浜)と、
よくシニアの野球について話をする。
e0089732_9255039.jpg

楽しくもあり真面目な話は、一回の電話で一時間程度である(笑)
シニアを指導するにあたり二人の考えは常に一致するため、
お互いの会話は、
「そうそう!」「そうなんです!」「そうだろ!」「わかるわかる!」
といった具合にスムーズな展開となる。

その一つ、
シニアの野球とは、高校野球で”勝つ野球”をするために耐えうる
心と体を作るための準備を整えることを目的としている。
勿論、挨拶や礼儀は当然のことであり、
既に小学生の頃に身についていることでもある。

シニアで”勝つチーム”を作ることは実は簡単なことなのだが、
そうすることは、子供の成長への妨げとなってしまうこととなる。

それは、野球や仲間が嫌いになったり、
大人を信頼できない子供がでてくるということだ。
指導者にとって、その犠牲は絶対に発生させてはならない。

小学生の頃、純粋で大きな夢をもって大好きな野球を始めた子供達に
与えてはならない一番重要なことである。

7年前、仲間たちと多くの議論を積み重ねてきた結果、
明確な答えを得ることが出来た。


そして、もう一つ、
試合中は、成功を褒め、失敗を激励する。
練習中は、成功や失敗を観察し、記憶する。
特練中は、成功の確率を増やす。

例えば、試合中に送りバントのサインを出したとしよう、
この時、指導者は、この選手が練習してきた送りバントの練習内容や、
アドバイスを送ってきた内容を把握し記憶していなければならないし、
その選手の送りバント成功率も記憶していなければならない。

この状況で、この選手の送りバント成功率は40%!
そんな場面で送りバントを成功した選手に対しては、
褒めて、握手をして、一緒になって喜んでみる。
これも”心の野球”の一つである。
成功しようが失敗しようが次のステップへの準備にすぎない!

また、全てに共通して云えることは、子供達に対し、
”アドバイスをする”
”一緒になって解決する”
”一緒になって挑戦する”
という意識で接することである。

但し、選手達に気持ちが入っていない場合や、
相手の気持ちを考えない行動や言動をした場合、
努力無しにできることをしない場合は、
今その場で雷を落とす!

そんな指導が終わった後の
中学三年生の秋から高校入学までの約半年間は、
独特な方法で子供達の心と体と技術を鍛え上げ、
調整してゆかなければならない。
前述の観察や把握や記憶は、この期間で活かされることとなる。
その独特な方法は将来、子供たちが指導者となった時、伝授しようと思う。


今でもシニアの指導に情熱をもって取り組んでいる四條さん、
そして青山シニアの指導者達を心から応援している。

・・・前田隆
エキサイトリーダーに登録
[PR]
by maeda_takashi | 2009-08-02 07:07 | 【前田日記】
星野仙一記念館
今日は、私が社会人野球時代に3年間過ごした倉敷市へ旅に出た。

『20年ぶりにあの街を歩きたい』という思いもあったが、
最大の目的は、先月19日に開館した“星野仙一記念館”に行く事だった。

倉敷駅から5分ほど歩くと、白壁の街並みで知られる美観地区に到着する。
初めてこの街にやってきた18歳の春、真っ先にこの場所に来た。
伝統的な建造物が好きな私は、
江戸幕府の直轄領で倉敷代官所があったこの場所を見てみたかった。

『ここに住みたい!』と思うほど、この場所が気に入った。
それ以来、私の気持を落ち着かせてくれる場所となった。

駅ビルを出て、以前と変わらぬ道を歩き、
白壁が見えてくると、あの頃が鮮明に甦ってきた。
そんな思いで一つひとつの建物や樹、倉敷川を見ながらゆっくりと歩いた。
e0089732_11131112.jpg

そして、“星野仙一”という文字を見つけた。
e0089732_11134711.jpg

ここが入り口で、細い路地を進むと、
突き当りの正面に“夢”という文字が輝いていた。
e0089732_11141759.jpg

館内には、母親に1,000円で買ってもらったグローブや
母校の倉敷商高、明治大学、中日、阪神時代、
そして、日本代表のユニフォームなど、約200点が展示されてあった。
e0089732_111814.jpg

また、星野さんの幼少時代から現在までのビデオが放映されており、
その部屋では、和菓子とお茶でもてなしてくれた。
e0089732_11181937.jpg

ビデオでは、
身体が不自由な同級生を自分が背負って行動を共にしたこと、
その同級生の母親が星野さんに感謝している場面で、
私も胸が熱くなった。
e0089732_11184753.jpg

そのビデオを見た後に再度、館内をひとまわりすると、
より一層、星野さんの素晴らしさに魅了される。
e0089732_11261129.jpg

今日ここに来て良かった...
星野さんと白壁の街並みを頭にやきつけて、
次の目的地、神戸に向けて出発した。

・・・前田 隆

星野仙一記念館 地図
[PR]
by maeda_takashi | 2008-04-10 23:59 | 【番外編】
野球旅 ~ 勇吾
午前中の仕事を一区切りさせ、野球旅に出た。

途中、少し早い昼食を食べて、乗船客で賑わう屋形船を見ながら
神宮の杜に向かった。
久しぶりの再会が待っているとも知らずに...
e0089732_1932588.jpg


e0089732_19324958.jpg

信濃町駅から球場へ向かう途中に終わりなき旅様のご要望を思い出し、
ご希望通り、神宮の桜を1枚!
e0089732_1933784.jpg

そして、球場に到着すると入れ違いで、
御世話になったGIANTSのスカウトと会うことができた。
御互いの近況報告をし、次回の食事の約束をして別れた。
e0089732_19332431.jpg

さて、今日は勇吾の姿を見ることができた。
足を骨折?してしまったようで、
痛みを堪えながらブルペンで投球を受けていた。
e0089732_19335135.jpg

自分に与えられた役割を全うし、監督に投手の状態を報告していた。
勿論、試合に出場できる状態ではなかったが、
チームに貢献していたことに違いはない。
その姿だけで私は嬉しい。
早く怪我を完治させて、
夏までに一打席でも多く試合に出場できることを願っている。
e0089732_19342017.jpg

【春季東京都高等学校野球大会】2回戦
都立大島
1=000100000
2=00002000×
堀越

帰りには、この歳になるまでまったく興味が無かったチューリップが
きれいに咲いていたので、ここでも一枚。
e0089732_19363960.jpg

それから、仕事に戻った。

暖かい陽気の中、歩きすぎて?お腹がすいたので、
コンビニで本日3回目の食事を摂った。
勿論、定番の
e0089732_19414089.jpg

である。

また、4期生達も頑張っているようだ。
時間をつくり応援に行きたいと思う。

明日も野球旅はつづく

・・・前田 隆
[PR]
by maeda_takashi | 2008-04-05 19:45 | 【前田日記】
手のぬくもり
二年ぶりの帰省。
母校での講演以来である。

苦手な飛行機も、娘に励まされながら(笑)大きな揺れもなく無事に到着。
e0089732_15504128.jpg

父親は既に就寝中であったが、
両親ともに元気でいてくれて安心したせいか、母親との会話で酒がすすんだ。
実家にあった幼少の頃の自分の写真と大人になったばかりの写真、
そして今の自分の顔を見比べると、其々が別人である(笑)
e0089732_15511238.jpg

e0089732_15512781.jpg

次の日は、天気も良くポカポカ陽気だったせいもあり、
久しぶりに母校を訪ねてみた。
小学校!
一所懸命に投げ続けたマウンド。
苦しいときに援けてくれた大きな木。
e0089732_1552296.jpg

e0089732_15523059.jpg

e0089732_15524110.jpg

e0089732_15525583.jpg

中学校!
常に打撃練習の目標物であった体育館の屋根。
中学、高校と体育祭が行われた陸上競技場。
小中高と必死になって頑張り、みんなで燃えた野球場。
e0089732_15533497.jpg

e0089732_15534813.jpg

e0089732_155403.jpg

e0089732_1554950.jpg

高校!
みんなで協力し合い、しっかりと役割分担をして、
他のクラスの生徒にも分け与えながら、
教室で一所懸命に焼いた肉や野菜(笑)
(先生!その節は大変申し訳ございませんでした)
この写真の中には、私が監督や教師や父親までにも、
とても可愛がってもらった?現場が数ヶ所か写っている。
さすがに、あの頃の私の大切な血液の跡は無かった(笑)
もう二度と見ることはできない高校のグランドに立ち、
後々取り壊される?校舎を眺めた。
e0089732_15545423.jpg

その夜は多くの友人達が集まり、実家で大宴会となった。
昔話に花が咲き、
自分達が40歳前後のオジサン、オバサンであることを忘れていた。
その翌日も別の悪友達(笑)と実家で盛り上がった。

そして大晦日!
今回、私が帰省した最大の目的、それは熊本の祖父に会うことだ。
助手席に父親、後ろに娘達を乗せて車をとばした。
県境の高千穂を過ぎた頃から大雪にみまわれ、
10センチの積雪と凍った路面を祈るように、そして慎重に進んだ。
雪景色を後ろに見られるようになった頃から、
25年前に通ったこの道を懐かしむことが出来るほどに、
空はすっかりと晴れ渡り、路面も乾いていた。

「このトンネルを過ぎると爺様の家まで、あと5分だぞ!」
後ろの席で歌を唄っている娘達に、いや自分に向けて言っていた。
今年で101歳になる前田繁信!

到着!
玄関を開けると同時に「こんにちは!タカシです」
炬燵で座っていた祖父は「よく来らしたな~、懐かしかね~」
二人で手を握りしめながら心を感じ合い、
手のぬくもりが胸の奥まで達した。
百歳とは思えぬほど、昔と変わらない力強く大きな手をしていた。
e0089732_15551843.jpg

数分間手を握りしめたあと、
私が小学生の頃、よく昼寝をしていた部屋にいくと、
百歳を祝う賞状と、軍隊での労苦を慰労する賞状が、
前総理大臣の小泉純一郎氏と元総理大臣の橋本龍太郎氏から贈られていた。
e0089732_15553842.jpg

e0089732_15554834.jpg

そのとなりには私の曾祖父母の写真もあった。
全ての人々にいえることだか、先祖の誰かひとりでも違う人だったら、
私という人間は存在しない...
あらためて人のつながり、深さを実感した。

外に出て、私をいつも見守ってくれている私の兄、
前田順一郎の墓に手を合わせ、感謝の気持ちを伝えた。
少しの時間ではあったが、
祖父と兄に挨拶をすることができたことが嬉しかった。

そんな年末を過ごし、年始早々に東京へ戻ってきた。
すると早速、嬉しい連絡が入った。
それは○○○母様からだった。

私が子供達を指導していたとき、言い続けてきたことの一つ。
そう、自分の誕生日には両親に
『おめでとうございます』
『ありがとうございます』と言うことだ。
それを実行した者がいた。

彼が言った...
『お母さん。僕を生んでくれて、ありがとう』

○○○母様の嬉しさが、とても伝わってきて、
私も嬉しくてたまらなかった。
今でも、私の指導してきたことを覚えてくれている。
それを実行している者がいる。
なにより、感謝の気持ちを持ち続けていること。
○○○母様、ご連絡ありがとうございました。


さぁ、今年も頑張っていこう!楽しい一年になりそうだ。
遅くなりましたが皆様!
明けまして、おめでとうございます。
とても多くの方達から年賀状をいただきました。
ありがとうございました。

子供達からのコメントは年々、立派な文章になり頼もしくなってきた。
内容もしっかりとしていて、
その力強さに、新しい年への意気込みを感じると共に、
人間としての成長を感じた。
今年で二十歳になる一期生をはじめ、社会人や大学生、
そしてプロ野球選手になる者。
甲子園への夢に全力を尽くす者。

どんな夢であろうとも、どんな道に進もうとも、
これからも彼らの幸せを願うと共に、
私を含め彼らが、これからの高校生や中学生、小学生のための
良き手本となるよう願っている。

・・・前田 隆
[PR]
by maeda_takashi | 2008-01-12 20:03 | 【前田日記】
AIR MAIL
私が尊敬する榊原康造さんから葉書が届いた。
内容は”命の尊さ”であった。
e0089732_19235762.jpg

私が昨年の6月に神戸へ行ったのは
榊原さんのお見舞いだった。
顔を見るまでは不安でたまらなかったが
思ったよりも、お元気そうでホッとした。
夕食も一緒に食べる事ができて嬉しかった。

また、病室に着いた時、お見舞いの花の多さに驚いた。
部屋の中には置ききれず廊下まで花があふれている。
あらゆる業界の著名人の名前もあった。
榊原さんの人間性と人脈の賜物だと感じた。

私は、こんなに素晴らしい人から面倒をみていただいていること、
世の中を教えていただいていることに勇気付けられる共に
心から尊敬し感謝をしている。

・・・前田 隆
[PR]
by maeda_takashi | 2007-01-02 19:29 | 【番外編】